徹子の部屋2019年上半期追悼特集【市原悦子さんなど】
7月9日放送の徹子の部屋は、上半期追悼特集①でした。
今日と明日の『徹子の部屋』は2019年 上半期の追悼特集を放送。1日目は…市原悦子さん・兼高かおるさん・森山加代子さん・佐々木すみ江さん・織本順吉さんです pic.twitter.com/4c9EZIonuk
— 池乃こいし (@369doughnut) 2019年7月9日
・兼高かおるさん 旅行ジャーナリスト
・森山加代子さん 歌手
・佐々木すみ江さん 俳優
・織本順吉さん 俳優
・市原悦子さん 俳優
2019年7月9日の徹子の部屋は、上半期追悼特集でした。その内容をまとめています。
「徹子の部屋」に出演され、お亡くなりになられた方々を二回の放送に分けてダイジェスト版をお送りされました。
懐かしいあの顔この顔、いつかの思い出話が聞け、感慨深いですね。
この記事で紹介している話
徹子の部屋2019追悼特集【市原悦子さん】
徹子の部屋、追悼特集で市原悦子。
「「家政婦は見た」の監督は、“世の中を見る。そして怒る。それが健康”っておっしゃってる。あの家政婦は健康なんですよね」
その通り! pic.twitter.com/uAmAKROcPj— 遠藤妙子 (@TaekoEndo) 2019年7月9日
- 市原悦子さん(享年82歳)
市原さんは、三回の出演回をまとめて。
まずは1995年59歳の時の放送では、市原さん、セリフを覚えても、本番では必ず違う言い回しになってしまうのだと打ち明け、徹子さんを仰天させていらっしゃいました。
ちなみに徹子さんは、脚本以外のことは一言も言ったことがないそうです。
次に流されたのは2008年72歳の時の放送。
「家政婦は見た」シリーズでは、ベテラン家政婦を演じていらした市原さん。
けれど実際は家事は苦手で、ご主人が家事担当だったそうです。
おうちにはテレビが二台あり、市原さんはテニスの試合ばかりをずうっと、だんな様は映画ばかり、と笑っておられました。
市原さん最後のご登場は2013年77歳の時でした。
このころの市原さん、よく転ばれていたそうです。
「この前も道端で転んで、きれいな若い男性に助けてもらったのよ」
と、可愛らしくおっしゃっていた市原さん。
階段からもよく足を踏み外しておられたそうで、マネージャーやだんな様に
「またですか」
とあきれられることも。
だんな様からは
「役者が怪我をするなんて素人だ」
と叱られ、怪我だけは住まいと心に誓ったそうです。
徹子の部屋2019追悼特集【兼高かおるさん 】
今日の『徹子の部屋」は「2019年上期追悼」で兼高かおるさん。ジャーナリスト・旅行作家。1959年~90年にテレビ『兼高かおる世界の旅』で、海外旅行の自由化前から素顔の世界を紹介。30年前に新宿区のボランティア活動の事務所の隣が『兼高かおる世界の旅』のフィルム保管場所でその多さには圧倒。 pic.twitter.com/qmqFEebvjU
— マヤの暦・人生の自由研究 (@syowa40stvdrama) 2019年7月9日
兼高 かおるさん (享年 90歳)
1988年兼高さん60歳の時の放送です。
「兼高かおる世界の旅」で150か国もの国々を巡られた、旅行ジャーナリストのさきがけ、兼高かおるさん 。
訪問先の未開の地でも
「出されたものは必ず食べました。相手の歓迎の気持ちを受け取るのはマナーです」
と思い出を語っておられました。
取材先でどんなものを召し上がっても、お腹を壊したり病気になることもなかったそうです。
昔はカメラも頑丈ではなく、がたがた道を車で走るとビスが取れて壊れてしまったとのこと。
「でも人間は壊れない。怪我をしても放っておくと治る。人間て素晴らしい」
目をキラキラさせて語る兼高さん。
兼高さんはまた
「女性でよかった。女性であることで甘く見てもらえた」
とおっしゃっていました。
徹子の部屋2019追悼特集【森山加代子さん 】
今日の『徹子の部屋」は「2019年上期追悼」で森山加代子さん。1960年にミーナの「月影のナポリ」の日本語カバー曲でデビューし、「じんじろげ」の独特の旋律と歌詞が印象的。1970年には「白い蝶のサンバ」で再ブレイク。坂本九さんと共演した映画『アワモリ君シリーズ』などでの可愛らしさも忘れ難い。 pic.twitter.com/1lZAfeQvk9
— マヤの暦・人生の自由研究 (@syowa40stvdrama) 2019年7月9日
- 森山加代子さん(享年 78歳)
1980年森山さん40歳の時の放送です。
お坊さんをしている森山さんのお父様はとても無口でしたが、お行儀にだけはとても厳しかったとのこと。
お食事中は必ず正座だったそうです。
森山さんが芸能界に入るとき、お父様はお怒りになり森山さんに感動を申し渡します。
そこに助け舟を出されたのはお母さま。
「若かったら私が歌い手になりたかった。もしだめならすぐに私が連れ戻すから」
と、お父様を説得。
おかげで森山さんは芸能界に入ることができたそうです。
徹子の部屋2019追悼特集【佐々木すみ江さん】
『徹子の部屋』1986年放送
佐々木すみ江(当時58歳) pic.twitter.com/JYNmj00XLb— 池乃こいし (@369doughnut) 2019年7月9日
- 佐々木すみ江さん(享年 90歳)
1986年58歳の時の放送です。
味のある演技で数々のドラマを支えられた佐々木すみ江さん。
特に方言の使い方の素晴らしさには定評のあった佐々木さんですが、その陰に隠された苦労を語っておられました。
佐々木さん、一生懸命練習しすぎてもう駄目だ、と投げ出す寸前まで頑張ったそうです。
そのくらい頑張って結果が出るのだと。
そんな佐々木さん、小さなころはしゃべるのが苦手でお友達がいなかったとのこと。
「感情がいっぱいになって、言葉が出なくなってしまうの」
と。
そして、女優さんにはそういう方がとても多いそうです。
徹子さんも
「私も人前に立つと、歌一つ歌えなかったのよ」
と共感。
佐々木さんのだんな様は新聞記者から学校の先生になられた方で、お忙しい佐々木さんに一度も文句を言ったことはなかったそうです。
もともとご近所にお住まいだったお二人、交際のきっかけは、だんな様の大学の演劇祭にまだ女子大生だ多佐々木さんが出演依頼を受けたことだったそうです。
徹子の部屋2019追悼特集【織本順吉さん】
『徹子の部屋』1987年放送
織本順吉(当時60歳) pic.twitter.com/cn3CryG0kG— 池乃こいし (@369doughnut) 2019年7月9日
- 織本順吉さん(享年 92歳)
1987年60歳の時の放送です。
90歳まで現役の俳優でいらっしゃった織本さん。
実は苦手なもの、できないことがたくさんあるのだとお話しくださいました。
海が怖くて膝から上は入ったことがない。
よって、泳ぐ役の時はいつも吹き替え。
乗馬、車の運転など、スピードの出るものも苦手。
お若いころは監督に
「そんなできないものだらけでよく俳優をしてるね」
なんて言われたそうです。
徹子の部屋2019追悼特集【まとめ】
上半期追悼特集①、先に通り過ぎて行かれた人生の先輩たちの姿を拝見して、一日一日を大切に過ごそう、と気持ちを新たにしました。
人生を一歩一歩妥協することなく真摯に生きてこられた方々の輝きを垣間見ることができる、素敵な回だったと思います。