小室哲哉さん突発性難聴 引退理由と会見内容まとめ。
KEIKOさんの現在の状況を激白
僕なりに引退を決意しました。
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小室哲哉 引退!?会見の内容まとめ
本日はお忙しい中、足を運んで頂きありがとうございます。
今回の報道により・・・・お詫び申し上げたいと思います。
えー言動が支離滅裂になってしまうのは申し訳ないので、昨晩まとめてまいりました。
KEIKOやご親族、そしてお相手の方に迷惑をかけたことをお詫び申し上げたいと思います。
僕なりにこの騒動のけじめとして、引退を決意しました。
えーしばらくお話をさせていただくので、聞いて頂きたく思います。
2010年までさかのぼらせていただきます。
金銭トラブルによる有罪判決を受けまして、5年の歳月を過ごしました。
その中で 妻KEIKOの突然の病気。予期せぬことではあったのですが、因果関係もわからない。
救急搬送から入院のサポートまで、大変でとまどったのですが
身体的な介護をされている方のご苦労は計り知れないのですが、幸い身体的な後遺症がなく、高次機能障害 脳の障害 少し欲がなくなったりした。
女性より女の子という感じになった。
一番職業である歌手としては残念なことに、音楽は脳のどこの部分かわからないんですが、歌うことに興味がなくなってしまった。
カラオケに連れて行ったり、曲を聞かせたりした。僕なりにいざなうことをしていったんですが、残念ながら音楽に興味を持つことは日に日に減っていった。
今年で7年目になる。
最初のころレコーディングに連れて行って、未発表になっていますが、その時のKEIKOの心境とかを曲にしたりした。
なんとか曲を歌ってもらったこともあったけど、それ以降はもういいんじゃないのということで、それから約4.5年になりますがもうほぼ歌うことはなくなった。
お恥ずかしい話なんですが
今は小学4年生くらいの漢字のドリルが楽しかったりしている。
なにか学んだり、
そういったレベルのところもあります。
大人の女性としてのコミニケーション、会話のやりとりとかも日に日にできなくなってきて。
電話とか対峙して話すことも日に日にできなくなった。
1時間~10分~数分になってきて
日に日に対話ができなくなった
精神的なサポートが必要
何度も繰り返しの質問とか
3年ぐらい前から徐々に疲れていった。
夏前に仕事が忙しかったということもあるけど
C型肝炎になってしまって、2人でいると、結局ふたりとも病気がちなので、あたり前なのですが普通の家庭の奥さんのようにはできないので、御見舞にたいしても言葉をかけられることもないので、1人で闘病を続けている。
その時に仕事を縮小したらよかった。2人の生活を基本に考えるべきだったかもしれない。
ついつい音楽活動やテレビ出演を続けていった。
その時にKEIKOがどう思っていたのかは、一般的な脳の活動ではないのではわかりません。
C型肝炎は完治。
2017年6月末まえに実家にお世話になっていたころから、突発性の難聴になって。原因は不明ですがストレス
摂食障害
耳鳴り
難聴
8月に入院を1人でしました。
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A子さんを含む複数のお医者様や看護師にお世話になった。
通院のみでは不可能な時期もたくさんありまして。都内はすぐれた場所でして、いろんな場所にお医者様が来てくれることもありまして、そのようなサービスを利用していた。
すぐ熱っぽくなったりした
A子さんのクリニックは早朝だったり、深夜だったり、イベント終了後だったり対応してくれた。
複数人で来てくれることもあったが、A子さんが来てくれることも増えていった。
急な往診を頼んだのもその時期。
自宅でKEIKOがいるときにも複数回来ていただいている。残念ながらKEIKOは記憶にないと聞いています。
僕の甘さがでているんですが、なんとなくKEIKOに容認してもらっていると思ってしまった。
ついつい雑談とか、女性とする機会がなかったので、メンタルケアといえばきれいな言い方ですが、雑談をしてもらったりしていた。
看護師が女性であって、誤解を招いてしまったことはあると思います。
スタッフがいることも多々あった。密室という環境もあった。
誤解を招いてしまった。
時間が長いとか場所もとか、
男性として女性を呼び込みたいという思いとはちょっと違っていた。
男女の関係とは違っていた。
不徳の致すところという意外にはない。
申し訳ありません。
世間の皆様には不快な想いをさせてしまった。そう言った環境にあるかたには特に不快な想いをさせたかもしれなく申し訳ないです。
難聴がいまもとてもひどくて、2017年秋ごろからの制作には、評価がいいものができるのか?という不安がたくさんあった。
10年前20年前では考えられなかったこと。
去年
公務員のみなさんが定年が60歳ということですが、還暦60歳というのは脳力の力がどうなのかな?と思うようになった。
期待に答えるような制作ができるかわからなくなった。
やりなおしも増えてきた。
やっとのおもいで出来上がって次の仕事・・・というような状態だった。
KEIKOにも簡単なことは話しましたが、音楽にも興味がなくなっているので「そうなんだ」というくらいでした。
そんな中、医療の知識をもったA子さんが、サポートしてくれる日々が続きまして、ついつい頼るようになってしまいました。
11月から。
そういった環境の中、かぜの噂なのかなにかこういった事態がおきるだろうと想っていた。
想っていましたが自分の体調を理解してほしかった。でもKEIKOが理解してくれているか
ピアノをひくにも30秒も聞くのがもたない妻。
そういったタイミングで週刊文春さんが、今行った戒めだったのかな?と想った。
文春さんの取材を受けた時に、有罪判決を聞いた時のような気持ちになった。
常にみなさまに「おつかれさま」と言っていただいているような引退セレモニーの夢をみた日々もありました。
この3ヶ月前から。
でも自分の甘さから、勇退される方とは違ったかたちで引退会見をすることになった。
僕の才能が本当にいまのエンターテインメント業界に必要なのかな?と自問自答していた。
報道していただいた
僕は音楽の道を退くのが僕の道だなと思いました。
自発的な音楽活動は本日をもって退こうと思っています。
特に妻のKEIKO
当然昨日まで僕の話の経緯を話していますが、少しだけ話そうと思っています。
夕方から姿を消そうと思ってもできない職業なので、
音楽活動の引退をさせていただきたいと思います。
30年近く本当にありがとうございます。
僕自身はエイベックスの支援、いろんなエンターテインメントの人々の支援があって活動してきた。
最近は小室さんが原因不明の難聴などで、お医者さんを含む看護師さんにきてもらったりしている。
一番仲のいい友達になってきている
甘えすぎていたのかもしれない。