冨士茂子さん娘は現在?徳島県警の冤罪事件
2017年10月18日放送の「1番だけが知っている」では瀬戸内寂聴さんが知る1番悲しい女…最期の言葉というテーマで、徳島ラジオ商殺人事件の冤罪で逮捕された被害者の妻『冨士茂子』さんを紹介されました。
見ていて怒りが沸いてきたのですが、今は亡くなった冨士茂子さんの娘さんは現在どうしているんでしょうか?
幸せであればいいんですが・・・
この記事で紹介している話
徳島 冤罪事件で無罪を訴え続けた冨士茂子さんの娘さんは現在?
娘さんは事件が起こった昭和28年当時、まだ小学生でした。
1953年11月5日の早朝
目の前で父が殺害され、その数が月後に犯人ではない母が逮捕されてしまった・・・
そして裁判で唯一母の無実を主張する発言をした娘さん。
娘さんは法定で「覆面のおじさんが部屋に入ってきた」と証言し、母の冨士茂子さんの供述と一致していたのです。
しかし、まだ9歳だったこともあり、警察や検察の圧力もあってか、娘さんの証言はほとんど無視されたのです。
娘さんは当時9歳だったということから算出すると、2017年現在は73歳くらいでしょうか。
テレビを見て多くの人が心を痛めています。
今テレビでやってる徳島ラジオ商殺人だけど、店員に偽証させたり、証拠写真を隠蔽したり、茂子さんに冤罪を吹っかけた検事や、娘さんの証言を子供だからと言って採用しなかった裁判官はその後処罰されてないの?ひと一人の人生を台無しにしたんだから何らかの処罰されなきゃ報われないよね。
— けろりん@NoメサイアNoLife (@kerorin_damon) 2017年10月18日
1953年事件当日、富士茂子さんは、内縁の夫である三枝亀三郎さんと娘の3 人で、工事現場の隣の旧店舗の場所で就寝していました。当時9歳の娘もいました。
娘さんは事件当日警察で「侵入した犯人を見た」としっかり述べていたのです。
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無罪判決が出た後、娘さんへ刑事補償金が支払われた。
1979年11月15日,茂子さんは腎臓がんのため亡くなりました。
そして1985年7月9日、ついに無実の判決がでたのです。
1985年12月12日、徳島地方裁判所は冨士茂子さんの娘に対して、逮捕された1954年8月13日から仮出所した1966年11月30日までの4493日間に7200円を掛けた額である3235万円の刑事補償を支払うことを決定した。
冨士茂子さんの娘さんに関する情報はほとんどありません。
冨士茂子さんの死後、無実の遺志は姉弟が受け継ぎ再審請求がなされました。
徳島ラジオ商殺人事件の場所はどこ?
「徳島ラジオ商殺し事件」の現場となった「三枝電気店」の場所は、徳島市八百屋町にありました。
徳島市八百屋町の場所は『徳島駅』にも近いところにあります。
冨士茂子さんの冤罪被害が過酷すぎる!
TBSの特番「1番だけが知っている」では、瀬戸内寂聴さんが昔かかわった冤罪事件の被害者『冨士茂子』さんという女性について語られました。
今から58年前に起きた『徳島ラジオ商事件』という日本の冤罪問題でも有名な過去の事件です。
夫が殺害され、その遺族であり被害者でもあった妻の冨士茂子さんが、当時の徳島警察の身勝手なでっち上げ捜査によって犯人に仕立て上げられたのです。
冨士茂子さんは43歳の時に逮捕され、13年間冤罪で投獄されました。
そして25年間無実を訴え続けたのです。その間に瀬戸内寂聴さんも彼女の支えになって活動されました。
事件から25年間無罪を訴えてなくなり、
事件から31年後に無罪判決がでたのです。
亡くなったあとでした・・・
冨士茂子さんの生家は呉服商で、その後 徳島高等女学校へ進学。頭もよい女性でした。
2度結婚して失敗。離婚した夫の借金返済のために、カフェの給仕(現在でいうホステス)をした時期もありました。その事がのちの警察・検察から偏見でみられたともいわれています。
そして4人の子供をもつラジオ商の店主である三枝亀三郎さんの内縁の妻に。
1953年11月5日早朝、徳島市内のラジオ商電機店に何者 かが押し入り、店主の三枝亀三郎さん(当時50歳)を刺殺したのです。
人生はいいことも悪いことも
連れ立ってやってきます。
不幸が続けば不安になり、
気が弱くなるのです。
でも、そこで運命に負けず勇気を出して、
不運や不幸に立ち向かってほしいのです。
≪瀬戸内寂聴≫ pic.twitter.com/At3Pv7BjQa
— 辛い時に読みたい名言 (@yomitai_mei) 2017年10月18日
この冤罪を一緒に訴えた瀬戸内寂聴さんが、こちらの著書に書かれています。
>>それでも人は生きていく [ 瀬戸内寂聴 ]<<