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中村獅童 父親は?歌舞伎役者を廃業した後の仕事と妻・息子の苦労

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中村獅童 父親は現在?歌舞伎役者を廃業した後の仕事は?

 

世襲制を重んじる歌舞伎の世界で”親”または”師匠”がいない中、中村獅童さんを必死にささえてきたのはお母さんの小川陽子さんであることは有名な話です。

では中村獅童さんの父親はどんな人だったのか?

2018年1月5日放送の金スマで特集された中村獅童さんのお話から紹介します。








中村獅童の父親は歌舞伎の名門の生まれだった

中村獅童さんのお父さんは、元々歌舞伎の名門の家の生まれなのです。

『初代中村獅童』です。歌舞伎の世界をやめられたあとは本名の『小川三喜雄(おがわ みきお)』さんという名前でお仕事をされています。

 

歌舞伎の名門一家に生まれた中村獅童の父親

屋号: 播磨屋

中村獅童の父親の父親、つまり中村獅童の祖父にあたる人は『三代目中村時蔵』

本名小川米吉

明治28(1895)年06月06日 ~ 昭和34(1959)年07月12日

https://www.kabuki.ne.jp/meikandb/omoide/actor/455

その子供は息子が5人娘が5人、合計10人。

長男が二代目中村歌昇(廃業、四代目中村歌六追贈)
次男は父の時蔵を受け継ぎ四代目中村時蔵
三男初代中村獅童
四男が後に大ヒット映画スターとなった萬屋錦之助(前名:中村錦之助)
五男は同じく映画スターとなった中村嘉葎雄(前名:賀津雄)

 

中村獅童の父親の名前は?現在は?

本名: 小川三喜雄(おがわ みきお)

生年月日: 1929年9月28日

 

歌舞伎座を廃業した後は、
①銀行員を経て
②東映プロデューサーとして、弟の萬屋錦之介と中村嘉葎雄をバックアップ。
③東映を退職した後、息子のために有限会社中村獅童事務所を設立し、会長として采配を振った。

2008年10月11日に胃ガンのため死亡 没79歳

中村獅童さんが前妻の竹内結子さんと離婚した8ヶ月後でした。








中村獅童の父『初代 中村獅童』が歌舞伎役者を廃業した理由は

 

息子 中村獅童は歌舞伎役者を選んだ

父・初代中村獅童と母・陽子の結婚10年目でやっと生まれた待望の跡取り。

実の父親は歌舞伎界の名門の血筋ですが廃業・・・

しかし、息子の中村獅童は「歌舞伎役者になりたい!」と希望したのです。

これは祖母にも父親にも反対されたとのこと。

 

中村獅童「馬鹿なんだと思いますね

普通は止めるでしょ。

心の底から馬鹿を貫き通した」

 

しかし、お母さんの小川陽子さんは違いました。

「歌舞伎役者になりたい」という息子に、役者としての感性を磨かせるために子供の頃からストリップなど様々なエンターテインメントを見せたのです。

 

ですが現実は厳しかった。

 

歌舞伎役者の一流の御曹司たちがどんどん大役を任せられていきました。

中村獅童の初舞台は8歳のとき初舞台、観客から見えない場所でセリフすらありませんでした。

 

画用:https://blogs.yahoo.co.jp/c_taixian/58920812.html

 

獅童の初舞台は「妹背山婦女庭訓」の豆腐買娘おひろという役で、同じ豆腐買を勤めていた、
十七代目中村勘三郎に手をひかれて舞台に出るというものでした。ちなみにこの時8歳でした。筋書にはこんなかわいらしい獅童の初舞台披露の紹介がされております。

 

 

しかし父親の小川三喜雄氏は初舞台を見に来ませんでした。

歌舞伎から離れた人間だからということもありましたが、伝統を重んじる歌舞伎界で、講演者とか後ろ盾を失っていた息子『中村獅童』の立場の辛さは、父親である小川三喜雄氏が一番わかっていることだから・・・。

 

 

中村獅童を認めてくれたのは中村勘三郎だった!

そんな想いがある人に届く

「あの男はすごくなるよ」と言ってくれた歌舞伎界の大御所があらわれたのです!!

それは亡くなった中村勘三郎さんです。

まだ無名だった中村獅童に「あの男はすごくなるよ」と言った中村勘三郎さんに、まわりの歌舞伎関係者は笑ったのです。

すると中村勘三郎さんは

「今笑ったやつら 全員追い抜かれます」と言ったのです。

そして中村獅童にこう言いました「いいよ君 とってもいいよ」

中村獅童さんは「泣きそうになった。
こんな偉大な先輩が見てくれたんだ」と心から嬉しかったと言われています。

 

雑誌のインタビューで中村勘三郎さんはこう話していました。

 

「舞台稽古の時に中村獅童の衣装が届いてなかったのに、あいつは必死に稽古していた」

 

勘三郎が座長を務める演目で主役に中村獅童を大抜擢!

 

中村獅童はプレッシャーで10Kg痩せたのですが、見事に演じきったのです。

 

「先輩も泣いてくださって

みんか感動してくださって

母もはじめてあんなに喜んでくれた」

 

応援し続けた母








中村獅童の活躍と結婚・母・嫁

映画『ピンポン』の大役をオーディションを勝ち取った。この作品が中村獅童の出世作に!

次々と話題作に抜擢!

幼い頃から様々な世界を見せてくれたから中村獅童は感性が豊かだった。

 

その後、結婚もした。

しかし
大きな落とし穴があった。

2006年道路交通法違反で罰金・謹慎・離婚
仕事が激減。

 

母は関係各所に出向き、土下座して回っていた。

お客さんに一人ひとり手紙も書いていた。
中村獅童が本物の役者になるのを見届けてから死にたい。

 

中村獅童 初の座長公演が決定!

 

偽せ歌舞伎役者の御曹司『中村獅童』が主役を掴んだのです。

 

当時41歳。

演目は『瞼の母』
不朽の名作だった。

それを演じる息子中村獅童を見て、母の小川陽子さんは「もう私はいつしんでもいいわ」と喜んだといいます。

 

そして・・・そのわずか一ヶ月後、小川陽子さんは亡くなったのです。

 

お風呂に浸かりながら、眠りながらなくなった。

「ステージママと言われるのが最初は嫌だったけど。・・・」という中村獅童さんの挨拶は多くの人が涙しました。

 

亡くなる前、お母さんは「獅童のことよろしくお願いしますね」とお嫁さん(沙織さん)に言っていたのです。

 

中村獅童さん嫁 沙織さんとの秘話

結婚された沙織さんは、早稲田大学卒業の才女。

東京ガールズコレクションも出演したこともありモデル活動もされていた時期も。

大学卒業後は沙織さんは中村獅童さんが好きなブランド『ユナイテッドアローズ』に務めていました。

 

中村獅童の親友で俳優の八嶋智人さん。
「結婚してから本人もどんなときも前向きになってきた。
さおりちゃんもお母さんのように迫力が出てきた。」

 

2012年つきあって半年後に両家の顔合わせをした。

おふくろが沙織さんのお父さん(久司さん)に抱きついた集合写真が^^

 

沙織さんのお父さんが悪性のガンだった。
披露宴のときにお父さんはガンであまり見えていなかった。だから中村獅童さんが「お父さん、沙織きれいですよ」と披露宴の時に言ったのです。

 

披露宴の時、中村勘九郎さんや七之助さんが泣いていたのは、付き合い始めたときから裏の話も全部知っているからだった。

 

奥さん業も母が教えてくれるはずだったけど、母も旅立ったから。しかし、中村勘九郎さんの妻である前田愛さんも仲良くされているということです。

中村獅童さんが健康でこれからも活躍されることは楽しみですね。

 

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