イギリスのダイアナ妃(ダイアナ元妃)が亡くなってから20年が経過した。
ダイアナ妃がパパラッチに追われたことにより交通事故で亡くなったことは有名ですが、事故の真相がわかってきています。
ダイアナ妃の事故当時乗っていた車についてまとめています。
この記事で紹介している話
ダイアナ妃の事故した同乗者の中で生き残りは?
ダイアナ妃が事故により亡くなったのは1997年8月31日で、チャールズ皇太子と離婚した翌年だったのです。
ダイアナ妃は恋人だったドディ・アルファイド氏というエジプト人実業家と一緒にフランス(パリ)のホテルに泊まっており、その深夜に車に乗り込んだのです。
ホテルの外には大勢のパパラッチが。
車に乗っていたのは4人でした。
- ダイアナ妃
- ドディ・アルファイド氏
- ボディガードのトレバー・リース・ジョーンズ
- ホテルが手配した運転手 アンリ・ポール
そして一人だけ事故で生き残ったのはボディガードのトレバー・リース・ジョーンズでした。このボディガードはドディ氏が雇っていた人物でした。
ダイアナ妃の事故車(ベンツ)に原因があった?
ダイアナ妃と(恋人)ドディ氏がホテルを出るために急遽手配した車は
メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz)
でした。
宿泊していたホテルの裏口に現れました。
そこの現場に居合わせた運転手の『ジャン・フランソワ・ミュザ氏』はこう言っています。
ダイアナ妃が乗ったあの車(メルセデス・ベンツ)は、中古で購入された後、あの時点で1年弱使っていた車なんですが、その間に何度も問題を起こしていたんです。
ダイアナ妃をその夜に乗せていたあの車とは?
その車が購入された時のディラーから受け取った書類には、確かにメルセデスのマークがありました。
事故車のナンバーは『688 LTV 75』
しかし問題なのは
買った時点での走行距離が10192Km。
つまり中古車で購入されて使われていた車だったのです。
しかし、あのダイアナ妃が乗ることになったあの時は、その車を使って仕事をするしかなかったと言われます。
運転手の『ジャン・フランソワ・ミュザ氏』は、
「安定感のない車だからスピードを出して運転しないように」と
そうドライバー達の中ではそう話し合っていた車だったのです。
パパラッチからのおとりとして急遽用意された車にはこんな真相があったのです。
ダイアナ妃の事故当時のスピード(時速)は?
ダイアナ妃はドディ氏の自宅へ向かう目的で車に乗りました。
4人が乗った車は、パパラッチを振り払うように急発進し、制限速度50キロのテーヌ川沿いの道路を、時速100キロを超えるスピードまで加速
そしてトンネルの入口からわずか65M。13本目の柱に車が激突したのです。
関係する本がこちら
▶▶ダイアナ妃 命をかけた最後の恋
ダイアナ妃の事故直後の言葉は!
ダイアナ妃は事故直後、まだ息があったのです。
後部座席にいたダイアナ妃。
すぐに通報され病院に運ばれたのですが亡くなりました。ダイアナ妃享年36歳。
事故直後に車にかけよった人の証言によると
ダイアナ妃はこう言っていたといわれています。
「OH MY GOD」
「Leave me ALONE」
(私を一人にして)