しくじり先生 新庄剛志 ネタばれ(内容)2月20日
2月20日のしくじり先生3時間スペシャルに出演した元プロ野球選手の新庄剛志さん。
とってもおもしろかったので内容をネタばれしてお伝えしますね。
新庄剛志さんは現役を引退してからはバリ島で暮らしています。そんな新庄剛志さんが日本のテレビ番組に出演するのでさえ久しぶりだったのです。なぜ『しくじり先生』を選んだのか?
新庄剛志さんはその理由を
「しくじり先生は大好きな番組でいつも見てる」
どの回を見たかと聞かれ
「辺見まりさん、成田童夢さん、神田うのさん、東国春英夫さんの回とか」
とあっさり答え、本当にバリ島にいながらも しくじり先生のファンであることがわかりますね。
新庄「誰かが失敗した話をして それを聞いた人が同じ失敗をしないようにと訴えるところがいいと思う」
と言われました。
そんな新庄さんは、自分から「しくじり先生に出たい」とマネージャーに連絡を入れて、今回の出演が決まったそうです! みんな驚きでした。
それではしくじり先生 新庄剛志さんのネタばれ(内容)をお話しします。
まず、これまでの活躍を紹介されました。
1989年 阪神タイガース ドラフト5位指名で入団
1990~2000年 阪神タイガースで活躍
2001年 28歳の時、米メジャーリーグ『ニューヨーク・メッツ』へ移籍
日本人初のワールドシリーズ出場
シーズンオフにはベストドレッサー賞受賞
下着や香水などをプロデュース
2004年 32歳の時 北海道日本ハムファイターズに移籍
『新庄劇場』と言われるパフォーマンスが話題に
2006年 日本ハム リーグ優勝に貢献
2006年 プロ野球引退
新庄剛志さんがTV初告白したのは『金銭トラブルで22億円の損失!』という、しくじり先生史上最高金額のしくじり!だったのです。
その内容としては
①新庄さんは母の知り合いのa氏にお金の管理を任せていた。
②そのa氏は一般人。野球関係者や芸能関係者じゃない。
③現役引退するまで稼いだ44億円(税金を引くと22億円)をほとんど使われていた!
④a氏と裁判したが、ほとんど戻ってこなかった。そしてa氏は自己破産した。
⑤預けた当時は40代後半だったので、現在は70代くらいか?
⑥昔は会社を何個も経営し、家もサウナ付の豪邸に住んでいる人だった。
ということ。
そのa氏って誰なのか気になりますよね! 噂ではa氏は新庄剛志さんの叔父さんではないかという話があります。
新庄「僕は少年時代、とてつもない身体能力をもったいたんです」
と話していましたが、子供の頃から本当に人並み外れた運動神経でしたね^^;
①サッカーをやり始めた2日目には一番活躍していた。
②体育の授業中に先生がバク宙をやったので、「僕もやります!」と言って前にでて、やったことないバク宙を披露した。見ただけでできた。
③お父さんが河原で石投げをしていた。小学生2年生くらいだったけどやってみたら80メートル石が飛んだ。それを見たお父さんが「こいつはもうプロ野球選手だ!」といい、そこからソフトを始めた。
④高校では野球部に入った。甲子園には行っていないがチームメートを見に来たスカウトマンにアピールしたくて、スカウトマンが帰ろうとしたとき、バックネットにボールを剛速球でぶつける。それを見たスカウトマンが驚き注目してくれドラフト入りした。
新庄選手はドラフト5位指名で阪神タイガースに入団。
新庄「(5位が)めっちゃ悔しくて!絶対やってやると思った」その思いから頑張って3年目に活躍し始め、監督から「次の仙台でスタメン」と1軍スタメンを伝えられる。
普通ならこれで大喜びすると思うんですが・・・新庄さんらしいところが^^;
「仙台じゃ活躍したくない」と思ったそう。つまり仙台が嫌いだったわけではなく東京や大阪の地で華々しくスタメンデビューしたかったのです。新庄選手らしいですね~。
なので「雨降れ~」て願ってたら雨で中止に! その後も地方会場だったらまたもや雨で中止に。
そして甲子園球場でスタメンデビューすることになったのです。
新庄さん やっぱりもってるんですね~。
初のスタメン試合 内容は『阪神 対 横浜戦』 7番サード。横浜のピッチャーは有働投手。
バッターボックスに構える新庄選手のイメージでは「速いストレート」だったけど、来たのは「スローカーブ」
新庄「う~~ん!!って打ったらホームランになった!」
初スタメン そして甲子園球場 そしてホームランを放つとは!やはりスター選手ですね。
その年から活躍が始まり、4年目の年棒は2200万円に。(22歳時)
阪神で活躍していた当時のエピソードでおもしろかったのが1999年の阪神対巨人戦『敬遠されたのにヒットにした』伝説の敬遠球サヨナラヒット。
この誕生秘話がすごい。
相手の巨人ピッチャーは槙原投手。実は二日前の試合で同じように新庄選手は敬遠をされており、それを経験した時に「これ打てるんじゃないかな?」と思った新庄選手は、敬遠球を打つ練習をしたそうです。
偶然にも阪神には敬遠球をホームランにしたことがある元選手がいたのです。1981年日本ハム4番で西武戦で敬遠球を打ってホームランにした柏原純一さんがバッテイングコーチにいて、それを覚えていた新庄選手は柏原さんに「僕はそろそろそういう場面がきますんで、その時がきたら柏原さんの方を見るから 帽子をとってもらえませんか?」とお願いして、敬遠球を打つ練習をしたそうです。
その練習を見ていた野村克也監督は「アイツは何をしてるんだ!?」と言ってたそうですがww
【敬遠といえば松井秀喜選手ですね】
そして新庄選手の予想どおり、二日後の巨人戦で敬遠の場面がきたのです!
槙原投手の顔を見ると「なんで新庄ごときを歩かせないといけないんだ」という顔に見えたそう。
そして柏原さんを見ると『一番ベースから遠くに立て』というサイン。なので1球目投げ終わった直後にちょっとづつベースの前に出る。そして2球目のピッチャーが構えた時にベースを足で踏みこんで、バットを先に伸ばして敬遠球を打ったのです! これが伝説の敬遠球 サヨナラホームラン。
すかさず長嶋監督が「ベース踏んだだろ?」と抗議したらしいのですが。しかし長嶋監督のすごいところを新庄選手いわく「その後に巨人の選手から聞いた話では、次に新庄を敬遠するときは、新庄のバッターボックスの背中側(後ろ)に投げろと言われたみたいでさすが長嶋監督。でもそれ聞いた時に僕はバット持って一周まわって打とうかと思った」とのことww
本当におもしろい選手ですね^^
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