11月24日放送の爆報フライデーは三島由紀夫と平岡瑤子夫人について!!
天才的な文豪『三島由紀夫』さんの妻は平岡瑤子(ひらおか ようこ)さん。

また三島由紀夫に斬られて重傷を負った元自衛官の寺尾克美さんが登場。
また、親交のあった女優の芳村真理さんも三島由紀夫の知られざる一面を告白!
そして三島由紀夫の妻・平岡瑤子夫人の壮絶な人生が明らかになります。
この記事で紹介している話
三島由紀夫の妻『平岡 瑤子さん』画像
妻は平岡 瑤子さんは現在亡くなられています。
平岡 瑤子さんの画像がこちら
1937年(昭和12年)2月13日 – 1995年(平成7年)7月31日)
年齢は58歳で他界。
三島由紀夫氏との馴れ初めや、新婚生活、妻の平岡瑤子さんに関して、ウィキペディアにかなり詳しく書かれています。
➔平岡瑤子Wikipediaを読んで見る
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三島由紀夫・平岡瑤子夫婦には子供がお二人
紀子さん(長女)
威一郎さん(長男)
長女の冨田紀子(とみたのりこ)さんは演出家。外交官の冨田浩司氏と結婚され子供さんもいらっしゃいます。現在58歳。
長男の平岡 威一郎(ひらおか いいちろう)さんは元実業家。銀座で宝飾店を経営されていましたが現在は閉店。
若くして亡くなった時の文豪の年齢
夏目漱石 49歳
芥川龍之介 35歳
太宰治 38歳
三島由紀夫 45歳
三島由紀夫 切腹自殺の理由は?
三島由紀夫が、自衛隊市ヶ谷総監部のバルコニーで自衛隊の幹部に向かって、「お前たちの存在を否定するような憲法をなぜ守るんだ!」と言って叫びましたから、三島は憲法を改正して、自衛隊を国防軍として憲法にちゃんと位置づけることを望んでいたのだと思います。
クーデターと言いますが、三島由紀夫とその「盾の会」の会員の10数名では、クーデターなんて到底起こせません(笑)!
自衛隊が参加すれば、クーデターも可能ですが、三島がバルコニーに立って叫んだ時、自衛隊の幹部たちから、ヤジ・怒号で罵られました、そんな有様では、自衛隊は三島と一緒に決起するなんて望めませんでした。
170112 NEWS23 三島由紀夫の未公開テープ「憲法9条2項がいけない」「日本人はごまかし、ごまかし生きてきた」 pic.twitter.com/7hNwTsakuK
— おもしろ政治動画 (@momoji111) 2017年1月12日
爆報!THE フライデー【三島由紀夫の妻…壮絶人生】放送内容!
47年たちました。
憲法改正を訴えて、クーデター未遂事件を起し、最後は自殺した三島由紀夫。
妻の壮絶人生。
奥様はお子様を抱えて想像できないほど大変だったのです。
市ヶ谷駐屯地の建物で三島由紀夫に切られた元自衛官が、妻 瑤子夫人と会っていたのです。
市ヶ谷駐屯地は現在? この場所にあります。
1970年11月25日に亡くなった。
2017年11月25日で47年たつ。
82歳の女優 芳村真理さんは三島由紀夫と交際していたのです。
いや!!82歳とは思えないほど若くてキレイ。
芳村真理若いなぁ!
10歳は若く見えるぞ。 pic.twitter.com/9L3TlRVRnu— kazu.@横浜 (27号探査隊員) (@tymkzhs) 2017年11月24日
逢引きした場所は六本木のイタリアンレストラン『キャンティ』
入り口に秘密が。
出入りは裏口から入る著名人たち。ここからは地下に入れる。だいたい知り合いが何人かいたそう。
三島由紀夫さんが座った席がある。角の席。
三島さん、真理ちゃんと呼び合っていた。
芳村真里は妻の瑤子夫人とも会っていたのです!
三島由紀夫 享年45歳。
1960年 25歳のとき。
六本木のホームパーティで会った。
キャンティの裏に陳さんという家があった。
大橋巨泉などもいた。
当時35歳だった三島由紀夫と知り合った。
しかしこの10年後に壮絶な死を迎えることになる。
東京大学工学部を卒業。
1949年『仮面の告白』など日本文学会を代表する作家に。
ステキなジェントルマン。みんなと一緒にマンボを踊ったりして。
2人はたびたび会った。興味があった音楽やモダンジャズの話などをした。
「中でも、浜離宮に円盤が現れるから見に行かないか?」
ベントラ~ベントラ~と謎の呪文を言っいた三島さん。
東京都大田区にある白亜の豪邸に住んでいた。
婦人公論で連載をしていた芳村真理は、対談で三島由紀夫の自宅へ行った。
ニコッと迎えてくれた妻。
1937年瑤子夫人は生まれた。
1958年まだ大学2年生だった瑤子さんはおばが縁談を探していて、その相手が三島由紀夫だった。
12歳年上。
青山のナイトクラブへ。2人は意気投合。その後、明治記念館で結婚式。
すごくいい雰囲気で対談が始まった。UFOの話などをした。奥様も一緒に。
三島由紀夫さんは没頭すると徹底的にハマっていく性格だったということ。
俳優業もやった。ヒロインには若尾文子。やくざ役。
他にも、ボディビルを始められた。ジムに通って鍛え上げた肉体を披露したり。
政治活動家にのめり込んだ・・・
1960年代、日本で学生運動が活発化していた。

自衛隊に体験入隊。一ヶ月レンジャー訓練も受けた。
民兵組織『楯の会』を結成。パレードも行ったりした。
芳村真理も芸能活動が忙しくなって、この頃はあまり会っていなかった。
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三島由紀夫が割腹自殺をした時の真相は!
当日の朝、ひげそりをする三島由紀夫を横に、子供たちを送りに行った。
『今日はちょっと遅くなりそうだから』と妻の瑤子さんが自宅にいた三島由紀夫さんに話した。これが最後の会話となった。

この時、芳村真理さんは、結婚していた夫の仕事でボストンに行っていた。
すぐテレビをつけるとアメリカでも大々的に報道されていた。
残された家族は直後から過激な取材があっていた。翌日の新聞には衝撃的な写真まで掲載されていた。
45歳で亡くなった三島由紀夫。葬儀には8000人の参列者。川端康成が取り仕切った。
三島事件で切られた元自衛隊員『寺尾克美さん』
現在88歳で爆走フライデーのインタビューに答えられた。
寺尾克美さんは、三島事件のときに総監室に突入した9人の自衛官のウチの一人。三島由紀夫を相対していた。そして23センチの刀傷が背中に。
寺尾克美さんは言う。「三島さんは殺してしなうつもりはなかったようだ。殺したらクーデターにならないから。」
「だから恨みはない。」
病院に入院し、しばらくして官舎に戻ってくると、三島の妻 瑤子さんが訪ねてきた。
(妻 瑤子夫人 画像)

家に来てびっくりした寺尾さん。
「このたびは主人が皆様に御迷惑をかけました」
「私は恨みはないですよ。あなたのほうが大変だろ」
「すみません」といって泣いていた。
夫が壊した自衛隊総監室を全額弁償。
楯の会が経団連襲撃事件を起した時は「いい加減に出てきなさい」と電話で説得した妻。
夫の名誉を守るために、全力で裁判で戦った。
激動の人生を戦ってきた。
妻 瑤子さんが書いた『三島家十四年の歳月』がある。
夫を尊敬し愛し続けた。
急性心不全で58歳で亡くなられた。
三島由紀夫の肉声テープが初公開!
三島由紀夫が行きていたら91歳。
「もし70歳まで生きていたら本当に嫌なおじさんになってると思います」と笑って話す三島由紀夫さんの声。
三島由紀夫さんが実際に着ていた『モヘヤジャケット』もスタジオで披露された。
「男の死」について
篠山紀信氏が撮影したこの写真集には『血と薔薇』掲載2点以外にも前述の「介錯人」の他、〈頭を斧で割られている三島由紀夫〉や横尾忠則氏との男色的写真もある。一部公開されたが芸術的観点から篠山氏には全面公開を願いたい。 pic.twitter.com/ygQqrWXjAf— ルートヴィヒ白鳥王 (@lohengrin_lud) 2015年11月19日